2019年お亡くなりになりました。
長い間お世話になり有り難うございました。
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販売は終了しました
出 身 | 大阪 |
師 | 藤井二郎 |
活動記録 | 1958年二科展初入選、以後毎年出品、その間 特選、会友特賞、関西二科特別賞、会員努力賞 |
1969年、会友となる | |
1970年、滞仏 | |
1976,78,80年兵庫県立近代美術館金山平三賞候補展 | |
1980年二科会員となる | |
1993年芦屋市立美術博物館「芦屋の美術、大正、昭和、平成」に招 待出品 2003年芦屋市立美術博物館主催「具象絵画の挑戦」に招待出品 |
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個展など | 大阪フジカワ画廊、大阪日動サロン、銀座資生堂ギャラリ− 梅田阪急百貨店百貨店美術部画廊、神戸阪急美術サロン 東京文芸春秋画廊ザセラ−、丸善画廊(日本橋、名古屋他) その他、東京、福島、大阪、神戸、芦屋など |
出版関係 | 季刊誌、月刊誌(7年間)の表紙、福音館書店の絵本挿絵など |
2003年”私のパリ”出版 | |
作品収蔵 | 箱根彫刻の森美術館、芦屋市役所、アメリカモンテベロ市役所 芦屋市立谷崎潤一郎記念館、 神戸大学、甲南女子大学、湘南短期大学、その他 |
社団法人二科会会員、同審査員、日本美術家連盟会員 |
画集 をご紹介いたします
素敵なパリのここかしこが、街の人々と共に描かれております。
(販売は終了しました。)
表紙「初夏のカフェ」 |
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知っているはずのパリなのに 訪れるたびに溢れる思いが広がります それは多くの人々の思い出がよみがえるから。 そしてパリには凛とした美しさがあるから。 パリはいつも私の心の中にあります。 昨日も今日も明日も |
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原画はすべて水彩画です
p2「広告塔の有る街角」 | p3 「メトロ」 |
[広告塔の有る街角] 大通りのマロニエやプラタナスの黄褐色の葉がかさかさと風に舞い、 パリはどんどん冬にむかいます。 つい先頃まで緑の大きな葉で見えかくれしていた広告塔が 目につきはじめました。 見上げる私に女の子が寄ってきて”どうしたの”と声をかけました。 ここの人たちにとって広告塔はメトロの入り口や並木や建物と同じに 格別に目に付く物ではなく、街そのものなのでしょうから 私の姿は道に迷ったエトランゼと思えたにちがいありません。 |
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p4「冬のセ−ヌ河畔」 | p5「くもり日の街角」 |
[冬のセ−ヌ河畔] 冬のパリは鉛色の空におおわれたうっとうしい日々が続き セ−ヌの川面は鈍い色を放ちながら流れてゆきます。 去年の残りのプラタナスの実が冷たい風にゆれる河畔は ときおり石畳にかたい足音をのこして人が過ぎてゆきます。 春はまだまだ遠く そんなはずはないのにもしかしてと思いながら 高い梢に新芽のふくらみを探し春を待ちます。 |
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p.6-7「ラセ−ヌ」 | |
p.8「朝のブロ−ニュ」 | p9「ノ−トルダム大聖堂の見えるカフェ」 | ||
[朝のブロ−ニュ] 季節の移り変わりは光にも影にも微妙な変化をもたらします。 春の訪れと共に木々の新芽はまたたく間に森を緑に包み 木漏れ日の木立の間をみえかくれして馬を駆る姿が多く見られるようになります。 リラやマロニエやマグノリアの花々も手折られることもなく 木々の緑と共に夏の終わりまで私達に憩いを与えてくれます。 |
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p10「猫を抱く少女」 | p11「赤いレストランのある通り」 |
「猫を抱く少女] 大通りから少し入った所に有る ”昼顔”と言う名の骨董屋は いつ通っても閉まっていましたが 今日は珍しく扉が開いていて、 猫を抱いた女の子が”おばあさまのかわりよ”と店番をしていました。 長い年月、どこかの家で大切に飾られていた物なのか あるいは片隅で忘れられていた物なのか、 何れにしろ私の知らない昔のフランスの家の中をのぞき見る気がしました。 |
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p12-13[下まちの日々] | |
朝が来る・・・・・ うすぐらいうちからパン屋は店を開き やがて客たちは長いバゲットを抱えてせわしげに歩きます。 シャッタ−の開く音がします。 子供たちが学校へ行ったあと、のんびりしたお喋りが始まります。 花売りを囲んだり、隣の赤ん坊をあやしたりしながら気軽に声を掛け合う この通りはあたたかな下まちです。 |
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p.14「コロッケ売りの娘たち」 | p15「街角」 |
[コロッケ売りの娘たち] サンジェルマン・デ・プレの市場のあたりは終日にぎわっています。 通りすがりにのぞいた暗い店の中には吊り下げられた鴨の口に 鮮やかな黄色のバラがくわえさせられています。 隣の肉やの前にはアルザス風と書かれた屋台が出ていて パテの入ったガレットやコロッケを、人形のような衣装の娘たちが売っています。 その美しい色のブラウスがメルヘンチックな屋台とよく似合い コロッケもきっとおいしいに違いないと買ってしまいました。 |
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p.16「小さいホテル」 | p17「裏窓」 |
[裏窓] バルコンに来るはとにえさをやる老女 所在なげに窓ぎわで時を過ごす女 窓から身を乗り出してお隣さんとお喋りにあけくれる女たち 窓辺の花に水をやる老人 他人の気配にいそいで窓を閉める若い女 昔、グレ−ス・ケリ−とジェ−ムス・スチュア−トの ”裏窓”という映画を何度も見たっけ でもこの手の届きそうなところにある裏窓の中ではなにごともなく日が暮れる。 |
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p18-19「芽吹く頃」 | |
[芽吹く頃」 この二三日、暖かい日が続いたあと、リュクサンプ−ル公園の マロニエの新芽が急にふくらみ まるで花の蕾が開くように若草色の小さな葉が顔をのぞかせます。 まだうすら寒いのに子供たちはいち早く春を感じ、 公園のおもちゃ売りのボックスに集まって 紙風船やボ−ル、輪回しなどを真剣な表情でのぞきこんでいます。 赤ちゃんのてのひらくらいだったマロニエの葉は日に日に大きくなり やがて空をおおうほどに広がります。 |
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p20「日曜日の公園」 | p21「落葉の公園」 |
[日曜日の公園] 休日の公園は朝早くから子どもたちを待っています。 リュクサンプ−ル公園も家族づれで大にぎわいです。 木蔭のロバは子どもを背にのせたり馬車にのせてひっぱたりして 公園の小径をゆききし回転木馬のあたりからは歓声も聞こえてきます。 噴水のある池にはヨット形のモ−タ−ボ−トを走らせる子どもたちを 大人がやさしく見守っています。 耳をすますと”カランカラン”という鐘の音が聞こえてきました。 ギニョ−ルが始まるのです。子どもたちが小さな劇場目がけて走ります。 休日の公園は幸せいっぱいです。 |
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p22「河畔のブキニスト」 | p23「ノ−トルダム・ド・パリ」 |
p24-25「モンマルトル冬日」 | |
[モンマルトル冬日] 朝まで降っていた雪の残るモンマルトルは 人影もなくひっそりとしています。 私をとりまくすべてが若く輝いていたパリの日々は 遠くに過ぎ去っているのに 冬木立の向こうには昔のあの日この日が夢のように浮かんできます。 それはまるで昨日の続きのように一 パリはなんと美しいのでしょう。 |
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p26「サクレク−ル寺院の見える道」 | p27「緑蔭」 |
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p28「シテ島のことりいち」 | p29「ロト」 |
[シテ島のことりいち] 日曜日、シテ島の河岸にことりいちが出ます。 近郊からやって来た人たちは持参の鳥かごを前に お客そっちのけのお喋りに夢中です。 なんとものんびりしたその風情もおもしろく,また道端から摘んで来た としか思えない小さな草が餌売り場に並べられています。 旅の途中、どこの小さなまちや村を通っても こうしたことりいちや花いちが開かれていて それは知らない人ばかりの初めて訪れた土地なのに ずっと住んでいるようなホットした気持ちにさせてくれました。 |
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p30「春近く」 | p31「昼下がり」 |
[春近く] ”ミラボ-橋の下セーヌは流れ、僕たちの恋が流れる・・・・ 恋はすぎゆく 流れる水のように・・・・” アポリネ−ルの詩が心にしみる思いがして ミラボ-橋に足を運んだ日もありました。 パリは橋の都、橋はパリの魂とさえいわれます。 二月の川面は冷たく長い冬の寒さが身にしみます。 やがて空にも水にも少しずつ変化が見えて 春のきざしを一番に知らせてくれるのもこの川岸です。 |
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p32-33「マルシェ」 | |
[マルシェ] 近くの大通りの木蔭では週に2回朝市が出ます。 ほうれん草が一枚ずつちぎって売られていたり、 皮をむかれた子羊の頭が飾られていたり 片方の足首に5cmくらいの毛を残して吊り下げられた丸裸の兎などと、 しばらくはなじめなかったものです。 パリのお父さんは、私の目には同じと見える鳥の中から ”うん、これだ”と自信満々に一羽をえらび出します。 料理自慢と言うお父さんは、本当は余り丈夫でない奥さんのために お料理をしていられるに違いありません。 |
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p34「村の子供たち」 | p35「ソ−レ−さんのキッチン」 |
[村の子どもたち] しゃがみこんでスケッチをする私を とりまくようにのぞき込む子どもたちはやがて ”ねえ、私たちを描いて””僕の髪は黒だよ” ”私のソックスはブル−よ”など口々にいう。 やがておませなイザベルの ”名前を書いてもいい?”の一言で 皆が私のスケッチにそれぞれの名前を書き入れました。 どこの子どもたちもとても可愛くすぐ仲良しになりました。 日曜日の朝、教会へ行く前に必ず入り口で待っていたジョエルは ”ボンジュ−ル・マダム”と言いながら手を差し出します。 握手する手の中にはいつも小さな飴玉が入っていて 誰にも見つからないようにすばやく私に渡します。 スケッチする私のコ−トを腕に持ち少しはなれた所で ずっと立っているジャンは時折振り向く私に必ずウィンクでこたえます。 彼らはまぎれもなくフランスの男性です。 [ソ−レ−さんのキッチン] 仕事に行くと言う友人について郊外のソ−レ−さんの家を訪ねました。 ヨ−ロッパでは珍しくないそうですが、キッチンの壁も床もかまども 何もかもご夫婦で何年もかかって作られたとのこと いとおしそうに手入れされる姿にもうなづける気がしました。 柔らかな陽の射し込む扉の外は春の花々がいっときに咲き乱れ 自然のままを大切にと考えて造られた庭の木立の奥からは 鳥の啼き声も聞こえてきました。 |
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p36「シャンゼリゼの香水店」 | p37「シルク・ディヴェ−ル」 |
[シャンゼリゼの香水店] パリのお父さんはいつもマリワラお母さんの香水を買いに行きます。 つれられて行った凱旋門近い香水店には クリスマスの贈り物を求める人が次々とやって来ます。 旅行者らしい人の他は年配のマダムばかりでその優雅な身のこなしや 話しぶりは私をいつか観たフランス映画のひとこまの中に 誘い込んでしまいました。 暮れなずむ扉の外は街路樹のイルミネ−ションがいっせいにともり シャンゼリゼは光の帯のようにきらめいていました。 |
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p38「追想−リスの思い出」 | p39「ビストロ・ラ・プティ・ロトンド」 |
[追想−リスの思い出] 午後のひととき、ビストロで出会った老紳士の肩にはリスがくるくると動き 遠くを見ているような彼のまなざしは時折やさしくリスに向けられます。 1940年、私は美しい父娘と知り合いました。 ユダヤ人だった彼らは、ある朝急に安住の地アメリカに向けて 日本を旅立ちました。 その淋しげな女の子の肩にはいつも一匹のリスがいました。 彼女はどんな人生を送っただろうか・・・・ そのときの父娘が目の前の老人と重なって私を遠い昔につれて行きました。 |
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p40「ノエルの夜」 | p41「小雪の舞う日」 |
[ノエルの夜] 街中に牡蠣が目に付く季節になり、パリは急速に寒くなります。 クリスマスの夜も、大晦日のレベイヨンにも このひのごちそうにはレストランでも家庭でも 必ずといっていいぐらいに生牡蠣が出ます。 クリスマスの飾りの美しいイタリアン大通りの レストランも道に面したかどではマルセイユ出身のお兄さんが 注文の入る度に器用に殻をあけ 中の海水がこぼれぬように氷いっぱいの大皿に盛りつけています。 そしてギャルソンによって運ばれるテ−ブルでは 着飾った客たちが楽しい夜を過ごします。 [小雪の舞う日] 十二月になってもマロニエの葉がなかなか落ちず 高い梢に黄褐色の葉が残っているのに雪になりました。 子どもたちをのせて散歩するポニ−は一回り20フラン。 クリスマスのシ−ズンになり学校が休みになる頃 この公園にも移動遊園地がやって来ます。 高い観覧車やお化け屋敷 そしておいしい揚げパン屋や美しい飴売りの屋台の間を すり抜けるように子どもたちの歓声が聞こえます。 年が明け、やがて公園は元の静けさに戻ります。 |
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p42「酔っぱらって」 | p43「昼下がりのコントワ−ル」 |
[昼下がりのコントワ−ル] コントワ−ルの前では店の人と客とのにぎやかなお喋りがつづいています。 スケッチに歩く先々のこういう店で、 食事をしたり日本への手紙を書いたりします。 のぞきこむギャルソンは”日本かァ、海外旅行なんて夢の又夢さ。 僕らの村では一生村から出ないで終わる人がほとんどなんだ”という。 プロバンスの小さい村から働きに来ていると言う彼は ”今度の休みにはおじいちゃんの手伝いに国へ帰るよ”とにっこりする。 背は高いけど、どこかあどけなさの残るこのギャルソンは 何歳ぐらいなんだろう・・・ この日のメニュ−は彼おすすめのブルゴ−ニュのハムとチ−ズにパン それに値段も高くなく上等とはいえないワインのどれもがおいしく大満足でした。 |
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p44「パリ北駅」 | p45「村の結婚式」 |
[パリ・北駅] 駅には人生があるー出会いと別れ、そして希望と挫折 駅はいつもやさしく人々を出迎えまた送り出します。 1800年代に創られた大きい駅がパリには六つもあり ある駅はモネによって描かれ、またある駅は文学書や演劇の 歴史の中に書き記されています。 そして私達は映画の中で度々これらの駅と出会っているのです。 オ−ドリ−・ヘップバ−ンとゲイリ−・ク−パ−の ”昼下がりの情事”であったり アニ−・ジェラルドとイブ・モンタンの ”パリのめぐりあい”であったり クロ−ド・ルル−シュの ”男と女”であったりと。 ある日の北駅の大きな柱のあるプラットホ−ムでは近ずくクリスマスを 田舎の家族と過ごすおばあさんを見送る娘の姿がありました。 [村の結婚] パリの南シュブル−ズの古い城跡を探しているうちにまよいこんだ 広場では 村中あげての結婚式が始まる所でした。 教会の入り口にたたずむ花嫁は初々しく、美しいドレスが良く似合っています。 そして花嫁の父が赤いバラを胸にシルクハットを抱えて涙ぐみよりそう姿は まるで今日の主役は彼のように思えました。 |
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p46「パリの凱旋門」 | |
油絵(下記のほか色々ございます)